2026年入賞作品
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「私の応援団長」
大賀羽和(20)
愛知県
大賀羽和(20) 愛知県
ゴールした瞬間、嬉し涙で視界がかすむ中 不思議と父の喜ぶ姿だけははっきりと見えた。あの瞬間の光景は、今でも鮮明に覚えている。
私が陸上を始めてから、父はほぼすべての大会に応援に来る。自分が出場するわけでもないのに、いつもスポーツウエアとランニングシューズを身に着け、なぜか変な丸いサングラスまでかけて、張り切った様子で現れる。そして、応援はいつだって全力。うるさいくらいの声量で叫ぶその姿に、思春期まっただ中の私はイライラし、「なんでいつも半ズボンなの?もう来ないで」と何度も言ったことがある。
高校に進学しても、その応援スタイルは変わらなかった。少しづつ結果が出せるように なり、大きな大会に出場できるようになって からも、全国のどの会場でも父の姿があった内心では相変わらずイラついていたけれど、口には出さなかった。それは、少しだけ私が大人になったからだと思う。
父から距離を取るように県外の大学に進学し、一人暮らしを始めた今、父と会うのは大 会のときくらいだ。それでも父は変わらず、今のスタイルで応援に来る。レース中、父の声 が耳に入るとやっぱりムカつく。でも、私は知っている。陸上に打ち込める今の自分があるのは、大学の学費、遠征費、合宿費などを支えてくれる父の存在があるからだということを。正直今では、父の応援の無い試合は少し物足りなく感じる。そして、結果が出ずに悩んだり、人間関係に苦しんだりすると、私はなぜか父に電話をかける。別に的確なアドバイスがもらえるわけではない。でも、イライラした気持ちや弱音を包み隠さずぶつけられるのは、父だけだと思う。
大学一年目は、慣れない環境に苦しみ、なかなか結果も出なかった。そんなときでも父は変わらず、「もうすぐ出るから大丈夫」と根拠のない自信で励ましてきた。公式戦の学内メンバー選考に漏れて落ち込んだ時も、「練習してるから、もうすぐタイム出るよ」と言ってくれた。その言葉を半信半疑で聞きながらも、私は練習をやめなかった。
そして迎えた、大学生として出場する初めての全国大会。父はいつも通りの服装とサン グラスで、いつも通りの声量で応援してくれた。レース終盤、「行ける!ここから切り替えたら前に追いつくよ!」という父の声が聞こえた。その瞬間、私はギアを上げた。そして、人生最高の順位と記録を出すことができた。
ゴールした瞬間、この一年の苦しみから解放されたような気がして、涙があふれた。視界は涙でかすんでいたのに、父がこれまで見たこともないような笑顔でこちらに向かってくる姿だけは、くっきりと見えた。
その日の晩、家族で食卓を囲み、父は嬉しそうにお酒を飲んでいた。その姿を見て、私も心から嬉しくなった。今度は、もっとおいしいお酒を父に飲ませてあげたい。その思いを胸に、私は今日も練習に向かう。





「お寿司時計は私の宝物」
縄手望未(27)
兵庫県
縄手望未(27) 兵庫県
瞼の裏に日の光を感じてうっすら目を開ける。右手の時計をみれば、割り箸を象った長針は海老を、短針はカンパチと雲丹の間を指していた。6時半か。そろそろ起きよう。
お寿司をモチーフに作られた私の寝室の時計。漆塗りの寿司桶のような外枠と文字盤の上で、木目まで表された割り箸の針と楊枝を模した秒針が規則正しく回っている。普通、文字が記されるはずの所に並んでいるのは、2cm大のお寿司の食品サンプルだ。使い始めてもう十五年ほどになるが、イカやイクラの絶妙な透明感も、焼き穴子の照りも、今なお褪せることなく健在である。
物心ついた時から私は食べることが好きだった。いや、食べ物自体が好きといった方がいいかもしれない。パリッとシャッキリ澄んだ翡翠色の、レタスの葉にめぐらされた葉脈は繊細なレース、果汁たっぷり、ジューシーな朱色にきらめくみかんの粒の連なりはまるで宝石のよう。ちょっと大袈裟かもしれないけれど、その神秘的とも思えるほどの美しさは、いつまで眺めていても飽きることなく、私にとって食べ物はもはや癒しであり、魅惑のときめきをもたらしてくれるものだった。でもそれは至極儚いもので、瞬く間に色褪せて朽ちゆくし、食べれば当然、跡形もなく消えてしまう。タルトの上で色とりどりにうるむ果物たちも、ふんわりふくよかな可愛いパンも、みているだけでほっこり心和む和菓子たちも、ずっと傍らでみつめていたい。いつしか私はそう思うようになった。
そんな思いで悶々と過ごしていた、あれはまだ小学校低学年の頃、休日に家族と出かけた都心の駅ビルで、飲食店街を通りがかった時のこと。ショーウィンドウを何気なくみていると、ひときわ新しそうなお寿司屋さんの壁一面、ずらりと並べられたお寿司の食品サンプルに目を奪われた。まるで今、目の前で職人に握ってもらったかのようにみずみずしく輝くネタ。粒立ちながらもふっくらと握られた艶めくシャリ。鮮魚の切り身特有の、血合いやサシの繊細で鮮やかな色彩、みちっと締まった肉質の感じまで見事に表されていて、私は思わず息をのんだ。これだ!と思った。
それから私はどれだけ満腹でも、飲食店の前を通る度に足を止め、店先のショーウィンドウに並ぶ食品サンプルをうっとり眺めるように。我ながらかなり変わった子どもだと思う。お陰で目的地にはなかなか到着しないし、店先で立ち止まり、じろじろ眺めたあげくに立ち去るなんて、子どもの私は夢中で平気でも、大抵連れだっていた父はきっと心中穏やかではいられなかったことだろう。しかし父は、そんな私を決してとがめることなく、それどころか「これはちょっと色づかいがもひとつ」「こっちは透明感に欠けるな」「これはすごいリアル\!」なんて、いつも肩を並べてすこぶる真剣な様子で観察に付き合ってくれていた。
そうしてあちこちの食品サンプルを見比べているうち、自分の好きなモチーフを忠実に再現してみたい!そしてあわよくばストラップにして、肌身離さず持ち歩いていつでも眺められるようにしたい!と思うようになった私。どうにかできるだけ身近な材料で、自分で手作りする方法はないものか。図書館の蔵書検索機に思いつく限りのキーワードを入力し、やっとの思いで、粘土を使ったお菓子のミニチュアの作り方がのった最新本を発見。その時は嬉しさのあまり、本当に小躍りしていた。本の写真の、柔らかそうでぽってりとした豆大福のフォルムにきゅんとし、苺の断面の、芯から表皮にかけて、白、薄桃色、そして鮮紅へと移ろう淡い色のグラデーションに魅せられた。絵具をブレンドして微妙な色合いを表現しながら、筆での焦げめや模様の彩色はもちろん、歯ブラシや楊枝でスポンジ生地のふかふかとしたきめを演出したり、粒あんの小豆の粒々感を出してみたり。仕上げにニスやネイル用のトップコートを幾重にも重ねたら、みたらし団子のたれやケーキの上の果物がまとうナパージュのつやめきが再現できるから、作品のクオリティは一気に上がる。ただの白い粘土の塊から、工夫次第で心ときめくお菓子のミニチュアを生み出せることが楽しくて仕方なかった。けれど試行錯誤の末、餅や苺が持つ絶妙な透け感を出すには、樹脂粘土という特別な材料が欠かせないことが判明。それを話すや否や、今ほどネットショッピングが普及していなかった当時、父は休みの度に私の手を引いて都心の雑貨店を何軒もたずね歩き、材料や本を揃えてくれた。寸暇を惜しんで制作・研究に勤しむ私の様子を、父は感心したように「精が出るなぁ」と言いながら見守り、できた作品をプレゼントすれば、「天才やな\!ありがとう。すごいなぁ、うまいなぁ」とさも大事そうに掌にのせて満面の笑みをみせ、仕事机にいつまでも飾ってくれていた。
そんな父はある夏休み、私をとびきりの旅へと連れて行ってくれた。行先は食品サンプル発祥の地、郡上八幡。こよなく愛する食品サンプルの聖地への旅\!と、私は幾日も前からわくわくと心待ちにし、当日も朝からはしゃいでいた。けれど猛暑の中、電車とバスを乗り継いで片道四時間半の大遠征に、間もなくすっかり疲れ果ててしまった。「もうちょっとだから頑張れ〜」ぐったり母の膝に突っ伏す私の背を優しく撫でながら、父はひたすら励ましの言葉をかけてくれた。
やっとの思いで駅にたどり着き、父に手を引かれて重い足取りでしばらく行けば、街のあちこちにある工房や土産物屋の軒先に、食品サンプルグッズが所狭しと並べられていた。まさに天国\!さっきまでのしんどさはどこへやら、速攻気を取りなおした私は嬉々として、きょろきょろ辺りを見渡しながら父の先導のもとまずとある工房を訪ねた。そこでは蝋を使った昔ながらの方法での、天ぷらのサンプル製作体験に挑戦させてもらった。ぬるま湯に、とろっとろに溶かした黄色い蝋を糸のように細く垂らしたら、一度沈むなりすぐにぶわっと浮かび上がってくる。まるで本物の揚げ油に衣を放った時のようで、気分はさながら天ぷら職人だ。違うところはといえば、具材に衣を付けてから湯に入れるのではなく、先に衣だけを作り、具材のサンプルを包み込むようにして仕上げること。これで程よくボリューム感のある天ぷらが、からっと再現できるというわけだ。粘土とは全く異なる作り方で最初は戸惑ったけれど、さすがは本場の蝋細工である。お店の方に教わりながら、天ぷら衣ならではの、触れればさっくり、はらりほろっと崩れてしまいそうな質感を出せて大満足だった。そしてさて一息つこうかと、併設の直売所に足を踏み入れた瞬間、私の目はお店の壁に掛けられたお寿司時計に釘付けになった。近寄ってよーくみてみると、一つ一つの小さなネタに、玉子の焼き目や海老の模様などが筆で忠実に描かれていて、本当に丁寧に作り込まれている。さすがの職人技に一目惚れ。正直喉から手が出るほど欲しくてたまらなかった。でも結構かさばるし、お値段もなかなかのものだ。小一時間ほど悩みぬいた末、やっぱりやめとくという私に、父は「なんで?絶対ここでしか売ってないから買おうよ」というなりサッとお会計を済ませると、まるで自分の宝物かのように、大切そうにして持ち帰ってくれた。あの時、背中をさすってくれた父の手のぬくもりや重みも、暑いのに汗ばみながら繋いでくれた掌が想像以上に分厚くてふっくらしていたことも、お会計をしてくれている大きな背中も、にんまり笑顔も、帰りの車内でうとうとしつつ、時計の入った紙袋だけは胸に抱くようにずっとかかえてくれていた姿も、鮮明に覚えている。私は心底嬉しかったのだ。
精一杯私のことを考えて父が企画してくれた、そんな数々の旅の思い出を振り返る時、父の優しさ、頼もしさ、そして私への底知れない愛情が、ひしひしと胸にしみいってくるようなのである。そしてお寿司時計は、今日も私の傍らで時を刻み続けてくれている。それを眺める度、心がじんわりあたたかくなって、むくむく元気が湧いてくるのは、私のどんな「好き」も受け入れ、どんな時も味方になって全力で応援してくれる、目尻の垂れた柔らかな父のまなざしが浮かんでくるから。

「世界一のヒーロー」
河内穂花(12)
群馬県
河内穂花(12) 群馬県
「今日も良い匂い。」
毎朝我が家は、家の中がこの幸福感いっぱいの匂いに包まれる。この匂いが私の目覚まし 時計なのだ。この匂いは、「今日も一日頑張ろう」と意欲を掻き立ててくれる不思議なパワーを持っている。その匂いの正体は、“パン”。小麦とバターの優しい香り。“セロトニン”という幸福ホルモンを刺激してくれている。父が毎朝焼いてくれる、焼き立ての”パン”を食べる事から、我が家の一日が始まる。
とは言っても、父は“パン職人”ではなく普通のサラリーマンだ。何故、毎朝父がパンを焼いているのかと言うと、私には“自閉症”の兄が居て、その兄の拘りで“朝食はパン“となっているのである。当初は、スーパー等でパンを購入していたのだが、添加物等、健康上の問題を考慮し、自宅で焼く事にしたのだ。毎夜、父が材料を計り、ホームベーカリーにセットする。起床時に合わせてタイマーをかける。そうする事で、起床時に幸せな香りに包まれるのだ。父が焼くパンは、世界一美味しい。
父の自慢はそれだけではない。元々、手先が器用なのか?料理も上手なのだ。初めて作ったという料理を食べても、どれも美味しい。そして、手芸も上手なのだ。以前ネットで“ブレスレット”の作り方が載っていて、家族で作ってみた所、母よりも父の方が仕上がりが綺麗だった。他にも沢山あるが、一番の自慢は“母とラブラブ”と言う事だ。毎日、お互い言いたい事を言い合っている為、喧嘩に発展する事もあるが、父は母を常に想っているのが分かる。だから、母も父の事は常に心配している。恥ずかしい話しかもしれないが、毎晩父は母の髪を洗髪してあげたり、時々、白毛染めもしてあげている。私や兄は、そんな二人を見て、ホッコリするのだ。
私は現在、思春期の真っ只中で、ちょっとした事でイライラして、素直になれない状態と、そんな自分に後悔する日々を送っている。が、父の帰宅がいつもより少し遅いだけで心配したり、家の中で(トイレへ行っているだけ)父の姿が見えないと探したり・・・。それって、素直に考えれば、父の事が大好きだからなんだと思った。
常に家族の幸せを考えてくれている父。父が居れば何も怖くない。安心できる。おならは平気でするし、いびきをかいたりする。それすら、格好良く思えてしまう。父は世界一のヒーローだ。私は、そんな父を誇りに思っている。これからも一緒に出掛けたり、思い出を作って行きたい。私が父にとって、自慢の娘でいられるように、命を授けてもらった感謝を忘れず、一日一日を大切に生きて行きたい。

「父と走る」
宮﨑純大(14)
兵庫県
宮﨑純大(14) 兵庫県
スタートの合図が鳴り、僕は駆け出した。
「最初から飛ばし過ぎるなよ」
横で走る父が言う。父を見上げた僕は、そのとき小学二年生だった。空は高く、とても青かったが、春と呼ぶには肌寒い日だった。
僕は父と親子マラソン大会に参加をしていた。この日のために僕は毎日とは言わないが、週に何度か近くの公園を何周も走ったり、坂道でダッシュを繰り返していたので、すこしは自信があった。しかし距離が進むにつれて息が上がり、足がずしりと重さを増しているのがわかった。
そのコースは何カ所もある坂道がどれも急で、上りは心臓破り、下りは脚全体どころか全身に負荷を与えるような角度になっていて、僕の体力は問答無用で削られていった。
あごが上がり、横腹も痛くなって、どうしても歩きたくなった。僕の走るペースはがくんと落ちた。
「おい、あきらめるな。ここを乗り越えろ」
数メートル先を走る父がその足を止め、僕の手を取った。そこから長い上り坂だった。 僕は父と、家庭の事情があり、一緒に暮らせないている期間があった。その間、父は僕に時折会いに来てくれたが、その移動手段は新幹線で、つまりそれだけ距離が離れていた。父をホームで見送り、小さくなっていく新幹線を見て、僕と父はものすごい速さで離れていっているのだなと感じ、涙を流したこともある。父の手を握り長い坂を走りながら、そんなことを思い出した。でも今は。父がすぐそばにいて、共に走っている。父の手は力強さと同じくらいに、僕を守るやさしさがあるような気がした。
「あともうちょっとやからな。ゴールはあそこや」
坂を上りきると、下りの向こうにゴールがはっきりと見えた。坂のてっぺんから見えた 景色は、それなりに良かったような記憶があるが、いちばんに目に飛び込んだのは、ゴールと書かれた白いアーチだった。
人生はよくマラソンレースに例えられる。 僕はまだ中学生なので、人生を語るには早い と思う。しかし思春期といわれる中学生だか らこそ、人生の意味や生きるということを えがめるのかも知れない。
これまでを振り返ると、いろんな道があった。平坦な道。きれいな道。まっすぐな道。険しい山道。それらの道を走り抜き、いまここにいる。
父と親子マラソンに出ることはもうないし、当然手をつないで走ることもない。しかしこ れから大人と呼ばれる年齢になるまでは、あの坂道で振り返り、手を取ってくれたように、父は僕の大きな支えとなってくれるだろう。そしてその支えを糧として自立し、つよく生 きなければならない。
「よくがんばったな」
ゴールをして、父が言った。息ひとつ上がっていない父とはまったく反対に、僕はまともに返事が出来ないほど肩で息をしていた。スタートの時はひんやりとしていた体から、どこまでも汗が止まらなかった。
「帰りに何か食べて帰ろか。食べたいものあるか」
父は余裕の様子で、軽く汗を拭いながら僕に尋ねる。
僕は息を整えた後に、
「寿司」
とだけ答えた。おまえ寿司好きやなぁと父は笑って、その後によしわかったと言った。父の笑顔は、とても穏やかだった。
中学生のいま、小学生の頃と比べ、父との会話は格段に減っている。学校のことなどを聞かれて、答えるのが面倒なことも多い。そんな僕を、父はどう見ているのだろうか。自分にもあった中学生らしい反抗期だから仕方がない、と納得しているのだろうか。それとも、すこしの寂しさがあるのだろうか。
時々、あの親子マラソンの長い坂を思い出す。本当にしんどかった。でもそのしんどさの倍以上に、走りきった達成感がじんわりと残った。父はその感覚を僕に数え、伝えたかったような気がしている。
自分なりに練習を重ねたのに十位の入賞を逃したので、悔しい思いもあった。思うよう にいかないのが生きるということなのかも知れないが、走りながら励ましてくれた父の言 葉と表情は、いまでも僕の心にあたたかく寄り添い、深く残っている。
父は週末、よく一人で走っている。次の休み、一緒に走ってみようか。
「僕も走るわ」
父はどんな顔をするだろうか。
「急にどないしてん」
そう驚くだろうか。そう喜ぶだろうか。
会話とジョギング。親子のゆるやかな時間が過ごせると思う。その時間こそがいずれ宝 もののような思い出となることを、僕は知っている。

「おまじない」
小松崎有美(41)
埼玉県
小松崎有美(41) 埼玉県
子どもの頃よく父に「『お』をつけなさい」と言われた。
箸じゃなくて、お箸。
弁当じゃなくて、お弁当。
確かに『弁当』と言うと日の丸弁当のような冷たいイメージ。一方、『お弁当』と言うと手作りの母のおにぎりが浮かぶ。実際父も「お弁当美味しかったよ。ありがとう」といつも母に言っていた。そんな父の姿は子どもながらに誇らしかった。
そんな私も不妊治療の末、第一子を授かった。しかし初めての育児は右も左もわからず。何とか二歳を迎えたものの、次第に周囲との差が目立ち始める。
「この子はきっと成長がゆっくりなのでしょう」
いつまで経っても喋れず、オムツも外れない。周りは手づかみで食べようとしているのに、うちの子はそっと手を引っ込めてしまう。主人に相談すれば「そんなもんだろ」と取り合ってくれない。
「悪いけど今日も遅くなる」
「ああ……うん、わかった」
私は仕事に出掛ける主人を見つめ、大きくため息をついた。
だが翌日。
「悪い。来週出張に行く」
その日は息子の誕生日。久々に家族で水族館に行く計画を立てていたがそうもいかなくなった。
「もういい加減にして!そんなに仕事仕事って!」
こらえていた気持ちが一気にあふれ出す。このあと私は実家に戻り、しばらくそこで生活をすることにした。
だが息子は相変わらず。
「あー、またお箸で遊んで!」
思わず箸を取り上げる。息子は箸を取られたショックで泣いている。
「あー、また牛乳こぼして!」
「あー、またスプーン落として!」
次から次に発生するプチ惨事。気付けば自分のラーメンはすっかり伸びていた。
「あーあ、せっかく作ったのに…」
汁を完全に吸ったラーメンは、ぐったりして、まるで疲れきった私のよう。そんな私を見て父が「お前は『あーあ』が多いな」と笑った。そして「とりあえず『お』をつけてみなさい」と言った。
「『お』をつける?どういうこと?」
私が聞くと父は言った。
「『あーあ、またスプーン落として』じゃなくて『おっ、スプーンどうした?』って言うんだよ。おもちゃだってさ『あーあ、こんなに散らかして』じゃなくて、『おお!こんなに積み上げて!』って言ったら違うだろ?」
「確かに……」
「『お』をつけると不思議と明るい気持ちになるんだよ、結局さ、どんな状況であっても、親も子も笑顔でいることが一番だからね」
「そうだよね……」
私は父と話したあと、昔、よく『お』をつけなさいと言われたことを思い出した。
弁当じゃなくて、お弁当。
あーあ、じゃなくて、おお!
『お』をつける。それは相手を大切に思っている証。お互いが笑顔でいるためのおまじないなんだ。
それから自宅に戻り、再び主人との暮らしが始まった。主人も心を入れ替えたようで、最近は息子とよく遊び、私には「ランチでもしてきたら」と言ってくれる。
だけど人生そううまくはいかないようで、今度の結婚記念日も得意先からゴルフに誘われているらしい。だけど「あーまたか」とは言わず、こう言うつもりだ。
「おっ、良かったじゃん。いってらっしゃい」

「わたしとパパとかみ」
河合泉華(7)
石川県
河合泉華(7) 石川県
わたしのパパは、わたしのことが大すきだ。まい日、わたしのかみをとかすのがにっかだ。長いかみが、からまってしまっていてもパパがていねいにほどいてくれる。
わたしはパパのかみがすきだ。パパのかみはやわらかくて、クリクリしている。わたしのかみと大ちがいだ。わたしのかみはくろくて、まっすぐだ。
パパがわたしのかみをととのえるのがすきなように、わたしもパパのやわらかいかみをさわるのがすきだ。
さいきんパパは、かがみを見るじかんが多くなった。なぜかな。と、かんさつしていたら、かみの毛が少なくなったのが、きになるらしい。
かみがなくなったら、わたしがパパのことをきらいになるとおもっているようだ。わたしは、パパのかみの毛が大すきだけれど、はげたって、大すきだよ。
くりくりのかみのけをさわるかわりに、あたまをなでてあげるよ。
いつだってパパはわたしが大すきで、わたしもパパがすきだよ。

「父への手紙」
帖佐聡子(49)
福岡県
帖佐聡子(49) 福岡県
お父さん、こちらはもうすぐ紫陽花の季節を迎えます。そちらはどうですか。体の痛みからようやく解放され、少しは楽になりましたか。会いたかった親・兄妹に囲まれ、今は賑やかでしょう。もう寂しくて病院から電話をかけてくることもないですね。
あなたが旅立って五か月。お母さんはまだ泣いています。
昔から短気で頑固だったお父さん。家族と外食に行っても料理が「遅い」と言って、食べずに店を出るほど気が短い人でした。家に帰って食べたラーメンのうすい味が、今も苦い記憶として残り、いつも不機嫌だったあなたを思い出します。
気に障ると、ところ構わず文句を言う性格に、家族はずいぶん振り回されました。二年前、癌の告知を受けてからも病院の先生や看護師の方にまで、手際の悪さを指摘していたお父さん。病状が進むにつれ、出来ないことが増え苛立つ一方で、最期まで病気の辛さを口にすることはありませんでした。
あれはデイケアに行った帰り。家まで送ってくれた職員の方に向かって、おもむろに車椅子から立ち上がったお父さん。おぼつかない足元で、帽子を脱いで深々と頭を下げたその姿に、思わず涙がこぼれてしまいました。死期を悟り、人の温かさにふれ、あなたはいつしか穏やかな表情になっていました。
幼い頃、父親の暴力を受けて育ったあなた。自分の子供には同じ思いをさせたくないと、私たちには一度も手を挙げなかったこと。お母さんに聞きました。
その頑なで真っ直ぐな心、強い忍耐力、そして家族への深い慈しみ。あなたの人生から教わったことが、たくさんありました。
お父さん、ありがとう。
今、とても会いたいです。
※受賞者の年齢は作品応募時の年齢です